読了:「前向きに生きる」ことに疲れたときに読む本。

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こんにちは、清水みやびです。
もうそろそろ11月だというのに、上着の出番が少ないですね。
私の周りでもゲホゲホ、グスグスと調子の悪そうな人もちらほら。
寒くなるなら早く寒くなっておでん一杯なんてやりたい今日この頃です。

今日ご紹介の本は『「前向きに生きる」ことに疲れた時に読む本/南直哉』です。

それでは早速レビューに入りましょう。

初めてお坊さんの本を読みました。

私の日常ではお坊さんと接することがほとんどなく、通夜や葬儀、墓参の時くらいしかありませんでした。
以前、テレビ番組「ぶっちゃけ寺」という番組がありましたが、仏教を身近に感じてもらおうという工夫がされていて
たのしく拝聴していました。
著者の南直哉(じきさい)さんは、幼少期から病弱なご自身の身体と向き合ううち、仏教に救いを求めることにし出家された
そうで、その原体験を交えて話が進みます。
本のタイトル通り、「前向きに生きようとする人」はもとより、ことさら前向きに生きようとしていない人にとっても「あ、それでいいんだ」という後押しをしてくれる一冊です。

「自分」とは?前提から考える。

冒頭、びっくりしたのが「自分とは」という前提の話。
よく、「望まれて生まれてきた」「みんなに愛されて生まれてきた」などということを聞きますが、自分視点でいくと
「たまたまそこに生まれただけ」と南さんは話を始めます。
生まれた地域、年代、親元、名前などは自ら積極的に選んで生まれてきた訳ではなく偶然ここに生まれ落ちただけという
前提のもと、生きることに疲れてしまう理由とその対処法について解説しています。
確かに、私自身も今の親や私自身の身体(色素障害と視覚障害)を積極的に選んだわけじゃありません。
これはちょっと主旨からズレる話ですが、趣味趣向のせいで「お前は15年生まれるのが遅かった」と親から言われるほどです。
(古い映画やクラシックカーが好きなのが高じて言われてます)

手放すもの、正対して見つめる方法

ことさらに「前向き」に生きる必要はないと南さんは説いています。
普通に生きる、ただ生きるだけで十分こと足りているという事に気づくこと。
誰かに認めてほしいという「承認欲求」がいい例で、誰かに認めてもらう必要はなく、自分の「すべきこと」に向き合い実行していく。「したいこと」と「すべきこと」をしっかり区別し「すべきこと」に焦点を当てて生きていくこと。
夢や希望がない、仮にあったとしても叶わなかった、届かなかったことを受け入れて生きていく人の方が人として強いと解説されています。
承認欲求のほかにも、生きがい、希望、生きる意味など「持っていて当然」と思っていたものをなくても大丈夫、なくて当たり前という視点をきちんと理論立てて教えてくれます。
その他にも、疲れず生きるために優先すべきこと、後回しでいいこと、ものや出来事の見方などについて現代社会における問題や当事者を通して丁寧に解説してくださっています。
冒頭、「仏教という生きるために使える道具」を手渡すつもりで本書を書いているという一文があり、仏教世界の精神論や鍛錬法などではない理論や実例がたくさん出てきてとても読みやすいです。

安心した自分がいた

ことさらに「前向き」に生きる必要はないと南さんは説いています。
普通に生きる、ただ生きるだけで十分こと足りているという事に気づくこと。
誰かに認めてほしいという「承認欲求」がいい例で、誰かに認めてもらう必要はなく、自分の「すべきこと」に向き合い実行していく。「したいこと」と「すべきこと」をしっかり区別し「すべきこと」に焦点を当てて生きていくこと。
夢や希望がない、仮にあったとしても叶わなかった、届かなかったことを受け入れて生きていく人の方が人として強いと解説されています。
承認欲求のほかにも、生きがい、希望、生きる意味など「持っていて当然」と思っていたものをなくても大丈夫、なくて当たり前という視点をきちんと理論立てて教えてくれます。
その他にも、疲れず生きるために優先すべきこと、後回しでいいこと、ものや出来事の見方などについて現代社会における問題や当事者を通して丁寧に解説してくださっています。
冒頭、「仏教という生きるために使える道具」を手渡すつもりで本書を書いているという一文があり、仏教世界の精神論や鍛錬法などではない理論や実例がたくさん出てきてとても読みやすいです。

安心した自分がいた

私自身は特に「前向き」に生きているという自負はありませんでした。
私はよく、自身の身体障害について出会った人と話すことがあり、その中で「できることを増やしてみよう」とか「自分でもなんとか生きてるし、誰かの何かのきっかけになれたらいいかな」くらいに思って生きてますという趣旨の話をすることがあります。そうすると、「障害があるのにすごくポジティブだね」と言われることがよくあります。
自分自身では意識的に「前向き」に生きているつもりはあまりなく、「この身体で死ぬまで生きるしかないから腐ってても仕方ない」と思って生きているだけでした。腐ると周囲に責任転嫁したり、本来すべきことに取り組むことを放棄していたかもしれませんし。
逆を言うなら「腐るならいつでも腐れる。だからそれまでは生きてやるか」とある種の開き直りがあったのかもしれません。
この身体で生きるしかない、限りはあるができることをやってみるという部分が本書を読む中で「間違ってなかったよ」とマルを貰ったような嬉しさを感じました。
これまでの生き方にマルをもらうだけではなく、今後もしかすると「腐る自分」が現れそうになった時に切り札になるような考え方や優先すべきことを知恵として授けてくれました。私の中でお守りのような一冊になりました。
今回読んだ本は、実社会に則した視点で仏教ではどう捉えるかを丁寧に解説してくださっています。
先にも書きましたが、自分の生き方に少し自信が持てるようになり、これから先の日々をいいものにできそうです。

今回はこの辺で。。。

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